新年度の最初の週末は、半年ぶりの9区のブロカントへ。
坂道を下った突き当たりのいつもの場所に、紙もの専門のDのスタンドを見つける。
これまた古そうなパリの地図が飾られていて、あいさつもそこそこに吸い寄せられる。彼女はいったい、パリの地図を何枚持っているんだろうか。
そして私は、何枚のパリの地図を彼女から買うことになるんだろうか。
「ほら見て、Obligadoなんていう知らない名前のメトロの駅が!(今のArgentine駅)」と指差して、1905年の地図だと彼女は言う。
帰宅してから調査してみると、
1909年創設のメトロ6番線があるので1909年以後である
1911年開通の13番線Liège駅があるので1914年以後である(1911年開通時から1914年まではBerlin駅という名前だった)
1916年開通の5番線Quai de la Rapée駅があるので1916年以後である
10番線Wilhem駅は1920年にÉglise d’Auteuil駅に改名したので、Wilhem駅の名前が残っているということは1920年以前
などの点から、1916年から1920年までの期間の地図、ということになる。
ちょうど100年くらい前のものだ。
あの時代に地図を毎年改編して刷っていたとは思えないので、3年から5年に1度作り直していたのではないか。
茶色に青の組み合わせの2色刷りというのも、シブくておもしろい。
現在のような高品質で安価なオフセット印刷のない当時、まだ鮮やかな赤色を印刷する技術が未熟だった、またはインクが高価だった(赤の鮮やかな古い印刷物をあまり見かけない)などの理由で、ある程度コントラストの強い2色を選んだ結果なのかも、などと想像してみる。
単に美的な観点からの選択かもしれないのだけれど。
型紙の掲載されたファッション雑誌、LA MODE ILLUSTRÉE。
1936年発行なので、第二次世界大戦の前だ。
こういう、雑誌の後ろの方の、広告がぎっしり詰まったページを見るのが楽しい。当時の読者が何に興味を持っている層だったのか、と想像が膨らむ。
しばらく歩いて、別のスタンドでも素晴らしい地図に出会ってしまった。
情報がこれでもかとぎゅうぎゅうに詰まった、1916年1月時点のアルザス及びロレーヌ地方の国境詳細地図。
1916年と言えば第一次世界大戦の真っ只中、ドイツと国境を接するフランス東部で、すさまじい陣取り塹壕戦が行われていたころだ。
軍事用の地図を任されたチームは、さぞかし優秀な人物の集まりだったのだろうな。測量にも作図にも最高の精度が求められ、ミスはご法度、守秘義務も絶対。
印刷職人のプレッシャーも相当だったはず。版ズレは許されず、最高品質の紙にフルカラーで鮮明に刷り上げて、迅速に納品するように指示されたにちがいない。
しばらく眺めていると満腹感すら覚えるような、高密度の42万分の1縮尺。
これは、今までに入手した地図の中でも、トップに入るお気に入りである。
このスタンドで買い物をしたのは初めてだけれど、とてもいい品ぞろえだったので、また見せてもらいたい。
もう予算を使い果たしたので帰ろうと思っていたら、今度は顔なじみのLの姿を見つける。
新しい店出し品を見せてもらいつつ話して、さてもう帰ろうかと思ったころに、宝石のようなリーフレットが眼前に現れた。
1937年開催のパリ万国博覧会の会場図!
なんともモダンでシックな配色!
表紙も素晴らしいけれど、中を開いてびっくり。
セーヌ川沿いの各国パヴィリオンが美しく配置されている。
書体はFuturaで、まさに当時の花形フォント。
正方形に折りたたまれた長細い絵本のような姿に心をつかまれ、そのまま最寄りのATMで現金を調達して購入した。こんなすごい品を、見なすごすわけにはいかない。
ちゃんと日本のパヴィリオンもある。
セーヌ川右岸はイエナ橋近くの「外国出展エリア」で、エジプトとソ連に挟まれている。