飛行機から降りた翌日には、時差ボケ防止に歩くという目的もあって、ブロカント通いを始めていた(その日は何も買わず)。
パリに戻って1週間後の週末は、14区の大通り沿いのブロカントへ。
ブロカント業界でもクリスマス商戦が始まっていて、アクセサリーやストールなどを前面に押し出して「さあプレゼントを買え!!」という熱気を感じる。
古いカードを数枚。
左側は復活祭用のグリーティング・カードで、写真とイラストが合成されている。当時のアナログなフォトショップ技術も、なかなかのレベルである。
右側はモンテ・カルロのカジノ風景のイラスト。
イタリアのサン・レモで印刷されたと裏面に書かれていた。
15年ほど前の夏、モナコに居た友人と一緒にローカル線でサン・レモの安食堂に行ったのを思い出す。
注文後に生バジルをすり鉢ですって作られる、ジェノヴェーゼ・ソースのパスタを食べた。めちゃくちゃおいしかったな、あれ。もうレストランの名前も場所も思い出せないけれど。
室内に大勢が集まって社交をしている絵が、なぜか好きである。
軍物スタンドのTを見つけたので声をかけたら、「いいの入ってるよ、ぜったい好きだと思う!」と。20世紀初頭の消防士の楽隊ジャケットだったけれど、予想通りとても高価で、ため息まじりに袖をなでて、あきらめる。
フランス軍の砂色のケープも良かったけれど、それも予算オーバーなので買わず。
1965年のフランス海軍の、コットン製半袖シャツを見つけた。
そういえば、1年半前にもTから買ったんだった。
この後、ソヴィエト軍のフィールド・ジャケットを夫が試着してみたいと言うので、レーニンの肖像画だらけのソ連グッズ専門スタンドへ。
機能的でスタイリッシュなアメリカ軍のM65ジャケットが、世界中の軍隊でコピーされたことは有名。
でもまさか、冷戦当時の敵国ソ連までが、真似していたとは。
もちろん生地がちがうし、色味もサイズ取りもちがうのだが、基本デザインは同じらしい。
「アフガンカ」別名M81と呼ばれるジャケットは、名前の通りアフガン戦争用に作られた制服。砂漠の夜の寒さに耐えられるよう、取り外し可能な分厚いライナーつき。昭和時代の客用布団かと思うくらい重いし、かさばる。
ソ連スタンドには鏡がなかったので、数メートル先の知人Gのスタンドまで行って鏡を貸してもらう夫(ついでに、Gにレア度査定などもしてもらえる)。
その間、私は彼が家から羽織ってきたM65を預かり、ソ連スタンド前で待機(人質)。
めずらしく小さいサイズで夫にはぴったり、しかも今のヒゲづらに似合う。
スタンド前のATMで現金を下ろして購入していた。
もう2人で何着ジャケットを持っているか、あえて数えたくない感じだ。