9月最初の週末に訪れた、7区のブロカント。
前にここに来たのは、ちょうど1年前らしい。
そうだ、あの素敵な缶を買ったんだった。
いつもと同じ場所に、顔なじみのL氏のスタンドを見つけた。
日に焼けた水色の小さな冊子。
ネクタイ、伊達襟、カフス、スカーフ、女性用の襟隠し、マフラーなどを扱っていた、リヨンの洋装品店のカタログだ。
20世紀初頭の写真に写るスーツ姿の男性をよく見ると、襟なしシャツに付け襟姿なのだけれど、その伊達襟。
当時は画期的だった、防水加工布を使った新商品の図が、ずらり。
横長の判型に紐とじ。クロモリトグラフィー(石版多色刷り。オフセット印刷の前身)の抑えた色調、活版で凹んだイラスト部分。
これはオブジェとして、ぜひ手元に置いておきたいと思う印刷物である。
電話番号が「Paris : 1029-69」という形であること(夫よ、調査協力ありがとう)、防水織地「ギャバジン」製造のバーバリー社専売特許が1917年までであることなどから、1910年代後半のカタログではないかと思う。
シャツのデザインの歴史について、少し調べてみた。
やはり、仕立て屋にシャツを注文できたのは富裕層のみ。
中流階級の男性は主に、細君お手製のシャツを着ていた。
19世紀後半に「身体に沿った複雑な型紙を組み合わせた」形のシャツが現れ、固定の襟が取れ、シャツのデザインに大きな変革があった。
貫頭衣のようにズボッとしたシルエット(三銃士が着ていたような)だったのが、より曲線的な、ボディコンシャスな形に変化する。
前ボタンで開閉するシステムの登場は1871年(それまでは紐結び)で、Brown, Davies & Co.によって商標登録。
1930年に入ると固定の襟が復活し、そのまま現在にいたるのだという。
変革の過程で、いったん襟が取れているのが面白い。
このカタログをキープしてもらってATMで現金を下ろしに。
戻ってきたら、さっきは気づかなかった、かわいい色のパリの地図がある。
英語で書かれているので、ツーリスト向けに配布されたものだろう。
発行元がMinistère des Travaux publics et des Transport(公共工事と公共交通機関省)という、今ではなじみのない名称の行政機関。
この省庁が存在したのは1944年から1947年なので、戦後すぐの品だと分かる(戦争中には、観光業界を構う余裕はなかったと思う)。使用書体のGill Sansから、1950年前後の品と見当をつけていたので、遠からず当たっていた。
面白いのが、現在のRERのB線の前身、Sceaux線(八重桜の美しいソー公園のある街を通る)の終点が、左岸リュクサンブール駅である。
B線のサン=ミシェル駅が、まだない。
バスティーユの新国立オペラ座もないし、メトロ3bis線もない、14番線もトラム線もない。