まさかの4年ぶり、メトロParmentier駅周辺のブロカント。前に来た時(コロナのロックダウン寸前!)にはメトロSaint-Maur付近と記録したけれど、このふた駅はとても近いので、同じブロカントだと思う。
最高気温が27℃予想、いきなりの夏日だった。最近のパリでは24時間で10℃の変動なんてのが頻繁に起こるおかげで、自律神経がメキメキと鍛えられている。
最初に見つけたのは、ヴィンテージ服ディーラーJのスタンド。
あいさつをしたかしないかのタイミングで、暴力的な強風(というか狂風)がスタンド内の衣類ラックを大幅に揺らし始めた。車道に倒れ込むと危険だから、全身で抑える。衣類がぎっしり掛かったラックは、どれもゆうに50kgを超えるのだ。
風がマシになったと思ってラックを元の位置に整えると再び暴風、の繰り返し。しばらく各自(Jと我々2名と、その場に居合わせた他のお客さん)それぞれに什器備品類を抑えていた。もともとラックはテントの支柱に紐でくくりつけられ、足にはコンクリートの錘も載っているのだが、それにしても風がえげつなく強い。ハリケーンならぬ、これはパリケーン。
風向きに逆らわぬようラックの向きを変えて固定しなおす作業を手伝ってから、Jのスタンドを後にした。あんまり落ち着いて商品は見られなかったけれど、特に目新しいものはなかった気がする。
しばらく進むと、マットイエローに塗られたチャーミングなトラックが視界に入った。「黄色いトラックのG」の車では…?と視線を平行移動すると、肘掛け椅子でウトウトする彼の姿が。
「あのトラックで分かったよ!」と言った我々に、「なるべく地味にひっそり来ようとしてるんだけどね…」と笑わせてくれる。
同じように見えていつも少しずつ違う、スタンド内のディスプレイを端から眺める。最後に正面から一望すると、
トイレットペーパー!
前にもここでトイレットペーパーを買ったのだけれど、ロール型ペーパーに遭遇するのは初めてだ。Gが「うちのスタンドでトイレットペーパー見てるの、あなただけですよ」と。やっぱりそうか。いつ頃のものかと訊けば、1950年代後半から1960年代あたりだろう、と。
トイレットペーパーのメーカー名はFavorといい、パリ4区のRenard通り21番地で1920年に創業した、製紙会社である。
Favorのロゴの反対側に印刷されているのは、Chomette-Favorという社名だ。
Favor社が1927年にMarius Chaumette氏の企業と合併し、Chaumette-Favor社に。Chaumette-Favor社はホテル・レストラン業界に業務用品を供給する、フランス最大の企業になる。なるほど、それで「ホテルで使われるすべての紙」「食器とグラス」とかいうキャッチコピーが書かれているのだな。
そしてなんと、Chaumette-Favor社の社屋は現在も保存されている!というか私、この建物の真下を頻繁に歩いているのに、今までずっと気づかなかった。
インクのにじみ、安い硬い紙質、巻きのボリューム、日焼けしたような色、すべてが素晴らしい。
商品のウリは「切り取り線付き」「絹の肌触り」。切り取り線なしのトイレットロール、使いにくそうだな…
さて、書かれている電話番号を手掛かりに、より正確な年代を特定してみよう(ひさしぶりだ、これやるの)。
「Archives 63-90」の文字列から、パリ3区のArchives通り62番地にあった電話交換手センターの管轄エリア、ということがわかる。「地名プラス数字」スタイルの電話番号の使用は、パリでは1963年に終了したとのことで、このトイレットペーパーの製造年は1963年よりも前。
そして、フランスでロールタイプのトイレットペーパーが普及し始めたのは1950年代以降らしい。最初の頃はペーパーが「紐色(荷物を縛る薄茶色の麻紐)」だったという… あ、もしかしてこの色、日焼けしたんじゃなくて、元々こういう色だったのか!
なのでやはりGの言うとおり、1950年から1963年までの間の品物ということになろう。
強度のない材質で作られたからといって、必ずしも短命ではないのが無機物の面白いところだ。運よくたった1人の人間の心をつかめば大事に保護されて存在しつづけるし、かたや倉庫の片隅で人類すべてに忘れ去られた場合にも長生きする。